大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう)は、井上靖の長編小説「おろしや国酔夢譚」の主人公の一人です。
この大黒屋光太夫の故郷(三重県鈴鹿市白子)が、現在、わたしの居住地です。
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この島で7人の仲間が次々と死んでいくが、残った9人は現地のロシア人と協力し、流木を集めて船をつくり、カムチャッカ半島のニジネカムチャックへ向かう。だがここで待っていたのは島とは比較にならない厳しい冬将軍で、さらに3人を失うのであった。
残った6人は、現地政庁の役人達とともにオホーツク、ヤクーツク経由でイルクーツクへと向かうが、1人が重い凍傷で片足を失い、帰国が不可能となる。また、さらに1人が病死する。
この地の政庁に帰国願いを出しても届かないことに業を煮やした光太夫は、当地に住んでいた学者のキリル・ラクスマンの助けを借りて、ラクスマンと共に漂流民としては一人女帝エカチェリーナ2世に帰国願いを出すために、ロシアの西の端の帝都・ペテルブルグへ向かった。
数ヵ月後夏の宮殿でいよいよ女帝への謁見が決定したが・・・。
緒方拳さんだったか西田敏行さんが主演となって映画化されました。(緒方拳さんだったかもしれない)
大黒屋光太夫の石碑が三重県の白子漁港にあります。
「白子のり」でも有名な土地です。この石碑も映画化されてから建てられたものであったと思います。かなり大きな石碑で、ちょっとした公園(海釣り公園)となっています。
湾をみていると釣れそうな雰囲気なのですが、釣果があったためしがないです。釣れても、サビキで小鯵程度です。釣り公園になっているので親子連れが多いです。
大物狙いは一文字堤があるので渡船で渡してもらいます。一文字堤は釣り雑誌などでもよく取り上げられている黒鯛ねらいのポイントです。
わたしは殆どが夜釣りなので、湾の先端にある灯台から大物をねらっています。
光太夫の石碑より右側に砂浜が広がっています。ここでは投げ釣りが楽しめます。この浜ではバカ貝(アオヤギ)が採れます。
大黒屋光太夫のモニュメント(石碑)の地図
この大黒屋光太夫の故郷(三重県鈴鹿市白子)が、現在、わたしの居住地です。
大黒屋光太夫はどんな人物?
天明2年(1782年)、伊勢を出発し、光太夫ら17人を乗せた神昌丸は、江戸へ向かう途中に嵐にあい、舵を失って漂流中に1人を失いながらも当時はロシア帝国の属領だったアムチトカ島に漂着した。[post_ads]
この島で7人の仲間が次々と死んでいくが、残った9人は現地のロシア人と協力し、流木を集めて船をつくり、カムチャッカ半島のニジネカムチャックへ向かう。だがここで待っていたのは島とは比較にならない厳しい冬将軍で、さらに3人を失うのであった。
残った6人は、現地政庁の役人達とともにオホーツク、ヤクーツク経由でイルクーツクへと向かうが、1人が重い凍傷で片足を失い、帰国が不可能となる。また、さらに1人が病死する。
この地の政庁に帰国願いを出しても届かないことに業を煮やした光太夫は、当地に住んでいた学者のキリル・ラクスマンの助けを借りて、ラクスマンと共に漂流民としては一人女帝エカチェリーナ2世に帰国願いを出すために、ロシアの西の端の帝都・ペテルブルグへ向かった。
数ヵ月後夏の宮殿でいよいよ女帝への謁見が決定したが・・・。
緒方拳さんだったか西田敏行さんが主演となって映画化されました。(緒方拳さんだったかもしれない)
海釣り公園(大黒屋光太夫の石碑周辺)
大黒屋光太夫の石碑が三重県の白子漁港にあります。
「白子のり」でも有名な土地です。この石碑も映画化されてから建てられたものであったと思います。かなり大きな石碑で、ちょっとした公園(海釣り公園)となっています。
湾をみていると釣れそうな雰囲気なのですが、釣果があったためしがないです。釣れても、サビキで小鯵程度です。釣り公園になっているので親子連れが多いです。
大物狙いは一文字堤があるので渡船で渡してもらいます。一文字堤は釣り雑誌などでもよく取り上げられている黒鯛ねらいのポイントです。
わたしは殆どが夜釣りなので、湾の先端にある灯台から大物をねらっています。
光太夫の石碑より右側に砂浜が広がっています。ここでは投げ釣りが楽しめます。この浜ではバカ貝(アオヤギ)が採れます。
大黒屋光太夫のモニュメント(石碑)の地図