能登半島の皆月は、何故このような陸の孤島に人間が住み着いたのか不思議に思われるような漁村です。
輪島市より北に位置する曹洞宗の大本山、曹洞宗総持寺祖院で有名な門前町より車で約30分、曲がりくねった車一台分の車幅しか無い道路で、2~3山を超えると、海沿いに父の実家があります。
父の実家までの道中には、4~5軒の集落が峠道を下ったあたりとか、峠道の曲がり角に二三ある程度で人里はなれたこの山中に、なぜ人が住み着いているのか、おそらく山師の子孫でしょう。
ここに住まわれている方の御先祖様の系譜や、ここに定住することになった経緯について、いろいろ想像すると、かなり興味深い文章が書きあがるかもしれないです。
峠道を何度か上り下りをくりかえし、この先に果たして集落などと言うものがあるのかと思ってしまうほどになると、最後の峠を上り切ったあたりで、景色が徐々に開けだし日本海が望めてきます。
しばらく峠をくだり、海の景色を真正面に眺めながら進んでいくと、浜辺より10mもない場所に集落が立ち並んでいるのが見えてきます。
堤防の先には砂浜がひろがり、海辺は円弧を描き、半円状になっている湾の両先端は断崖絶壁となって、右側の断崖の少し下あたりに船着き場が作られ、4~5隻の漁船が停泊できる程度のものになっています。
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燈台の一帯は、雪割草の群生地となって、4月上旬に猿山岬周辺が色とりどりの花で彩られます。
能登の奥地で、まだ全国的には知られていないですが、国の保護指定地区になっています。燈台の駐車場から燈台までは、歩道が整備されていますが、昇り降りがあるのでかなりこたえます。
実家から猿山燈台に至る道と猿山燈台からみる景観は、今もなお昔をとどめています。
猿山燈台への道中の海岸は、人を寄せ付けないような大小の岩があり、昼は穴釣りでメバルが狙えます。
何年も前には、サザエもとったことがあります。今は鑑札なしで採ると密漁になります。
港の両端を断崖絶壁に守られ、陸路は山に閉ざされ、細い峠道でしかたどり着くことのできないあたかも要塞のような地形に、人が住み着いているのは、古に落武者の古事が存在したであろうことを思わせます。
門前町から峠道をこえて、父の実家にくる道程は、道路状況は数十年前よりは良くなってはいるものの道沿いの集落や景観といったものは昔をとどめています。
「ふるさとは、遠きにありて、思うもの」で、思い出のなかのふるさとと、実際に現実のふるさととの景観の変化には、ギャップがあるものと思うのですが、思い出と、今みる景観が、そのまま同じであるということは、そのままタイムスリップして幼少よりのさまざまなできごとが蘇えってきます。
何故このような陸の孤島のような場所に人間が住み着いたのか。
平家の落武者の集落らしいのですが、それも歴史をひも解いてみなければ確証を得ないところです。
能登半島には平家落武者の集落が多く存在します。また、義経の船隠し(兄、頼朝に追われた義経、弁慶一行が海の大荒れから細長い入江に船を隠し難を逃れた)等の源平時代の名所旧跡が多く存在します。
「平家にあらずんば、人に非ず」とは平清盛が残した言葉であるといわれているようですが、実際は平時忠が残した言葉です。
平時忠は清盛の義理の兄であったが平家滅亡後に義経にすりよったが、義経が兄の頼朝に追われて亡くなる。平時忠自身も捕らえられ能登に流されました。
輪島市の「時国家」という重要文化財は、平時忠の子平時国の家だったものです。
旅館は1、2軒しかありませんが、青少年旅行村があり、広場ではキャンプもできます。
青少年旅行村の前から広がる日本海は絶景です。
※2008/春に能登に行きましたが、青少年旅行村は運営されていないようでした。
行かれる場合、下の輪島市に確認してください。
砂浜もあり、海水浴もできますが海水浴客は殆どいません。穴場です。
海岸の岩場をみていると大漁の予感!!釣竿を持っていってください。
宿泊施設などは事前に確認して行ってください。穴場中の穴場です。
石川県輪島市皆月の地図
輪島市より北に位置する曹洞宗の大本山、曹洞宗総持寺祖院で有名な門前町より車で約30分、曲がりくねった車一台分の車幅しか無い道路で、2~3山を超えると、海沿いに父の実家があります。
父の実家までの道中には、4~5軒の集落が峠道を下ったあたりとか、峠道の曲がり角に二三ある程度で人里はなれたこの山中に、なぜ人が住み着いているのか、おそらく山師の子孫でしょう。
ここに住まわれている方の御先祖様の系譜や、ここに定住することになった経緯について、いろいろ想像すると、かなり興味深い文章が書きあがるかもしれないです。
峠道を何度か上り下りをくりかえし、この先に果たして集落などと言うものがあるのかと思ってしまうほどになると、最後の峠を上り切ったあたりで、景色が徐々に開けだし日本海が望めてきます。
しばらく峠をくだり、海の景色を真正面に眺めながら進んでいくと、浜辺より10mもない場所に集落が立ち並んでいるのが見えてきます。
堤防の先には砂浜がひろがり、海辺は円弧を描き、半円状になっている湾の両先端は断崖絶壁となって、右側の断崖の少し下あたりに船着き場が作られ、4~5隻の漁船が停泊できる程度のものになっています。
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猿山燈台 ~ 雪割草の群生地 ~
湾の左側を幾つかの断崖をこえると猿山燈台があります。燈台の一帯は、雪割草の群生地となって、4月上旬に猿山岬周辺が色とりどりの花で彩られます。
能登の奥地で、まだ全国的には知られていないですが、国の保護指定地区になっています。燈台の駐車場から燈台までは、歩道が整備されていますが、昇り降りがあるのでかなりこたえます。
実家から猿山燈台に至る道と猿山燈台からみる景観は、今もなお昔をとどめています。
猿山燈台への道中の海岸は、人を寄せ付けないような大小の岩があり、昼は穴釣りでメバルが狙えます。
何年も前には、サザエもとったことがあります。今は鑑札なしで採ると密漁になります。
港の両端を断崖絶壁に守られ、陸路は山に閉ざされ、細い峠道でしかたどり着くことのできないあたかも要塞のような地形に、人が住み着いているのは、古に落武者の古事が存在したであろうことを思わせます。
門前町から峠道をこえて、父の実家にくる道程は、道路状況は数十年前よりは良くなってはいるものの道沿いの集落や景観といったものは昔をとどめています。
「ふるさとは、遠きにありて、思うもの」で、思い出のなかのふるさとと、実際に現実のふるさととの景観の変化には、ギャップがあるものと思うのですが、思い出と、今みる景観が、そのまま同じであるということは、そのままタイムスリップして幼少よりのさまざまなできごとが蘇えってきます。
何故このような陸の孤島のような場所に人間が住み着いたのか。
平家の落武者の集落らしいのですが、それも歴史をひも解いてみなければ確証を得ないところです。
能登半島には平家落武者の集落が多く存在します。また、義経の船隠し(兄、頼朝に追われた義経、弁慶一行が海の大荒れから細長い入江に船を隠し難を逃れた)等の源平時代の名所旧跡が多く存在します。
「平家にあらずんば、人に非ず」とは平清盛が残した言葉であるといわれているようですが、実際は平時忠が残した言葉です。
平時忠は清盛の義理の兄であったが平家滅亡後に義経にすりよったが、義経が兄の頼朝に追われて亡くなる。平時忠自身も捕らえられ能登に流されました。
輪島市の「時国家」という重要文化財は、平時忠の子平時国の家だったものです。
キャンプ、海水浴にオススメ
ここ、石川県鳳至郡門前町皆月はキャンプ、海水浴にオススメです。(現在、門前町は市町村合併で輪島市になっています。)旅館は1、2軒しかありませんが、青少年旅行村があり、広場ではキャンプもできます。
青少年旅行村の前から広がる日本海は絶景です。
※2008/春に能登に行きましたが、青少年旅行村は運営されていないようでした。
行かれる場合、下の輪島市に確認してください。
砂浜もあり、海水浴もできますが海水浴客は殆どいません。穴場です。
海岸の岩場をみていると大漁の予感!!釣竿を持っていってください。
宿泊施設などは事前に確認して行ってください。穴場中の穴場です。
石川県輪島市皆月の地図